八村塁は英会話がなぜ上手?その理由や勉強法は?【情熱大陸】

こんにちは、RyuMaです!
NBAドラフト1巡目で9位指名という、日本初の快挙と共にスーパースターとなった日本人NBAプレーヤーの八村塁さん。
彼は以前、英語が苦手で全く会話をすることができなっかたそうですが、今ではネイティブに英語を話しています。
いったいなぜ英会話が上手なのか?その理由や勉強法が気になったので調べてみました。
みなさんも一緒に確認してみましょう。
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驚くほど話せる英語!
八村塁さんはアフリカ・ベナン出身の父と日本人の母を持つハーフですが、日本人として日本で生まれ育ってきました。
ですが、ネイティブに英語を話す姿には驚かされます。
こちらはアメリカで放送された八村塁さんの紹介映像です。
彼が日本人であることを忘れてしまうくらい、流暢に英語を話されていますよね?
しかし、初めから英語が話せたわけではありません。
ベナン出身のお父さん、英会話スクールの講師をしているお母さん、どちらからも英語を教わったことはなく、英語を話すことはとても苦手だったのです。

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英語を勉強するきっかけは?
そんな八村塁さんがなぜ英語を勉強することになったのでしょうか?
彼が英語を勉強するきっかけとなったのは「ゴンザガ大学」に入学するにあたりスポーツ推薦の特待生になるため、SAT(大学進学適性試験)で数学と英語の試験をクリアしなければならなかったからです。
当然、試験問題は全て英語ですから、英語が理解できなければ問題を解くことすらできません。
ゴンザガ大学はインターナショナルな学生の多さと、 英語を話国語としない学生への対応が適切で指導が丁寧な学校ですが、バスケだけができるという状態では入学はできないのです。
NBAでバスケットボールをやると決めたときから、八村さんは英語の猛勉強を始めます。
その当時、こんな映像も放送されました。
大学入学までに行った勉強法は?
高校3年生の頃から大学入学に向けて英語と数学の猛勉強を始めた八村さんですが、当時の成績はそれほど良くはなかったようです。
当時母校である明成高校は、数学の勉強のために担当教員を中心にマンツーマン指導が行われました。
そして英語の勉強については、アメリカ人のネイティブスピーカーと昼食後にマンツーマンのレッスンを。
更に実家への帰省時には集中したいからと貸会議室を借り、そこでレッスンを受けたり問題集を解いたりと勉強に励んでいたそうです。
もちろんこの期間中にもバスケの練習や試合には参加しており、練習後は8時間以上もの間勉強を行っていました。
高校ではキャプテンを務め、試合には負けられないことと大学への入学との大きなプレッシャーと闘いながらこんなにも勉強していたなんて、NBAでバスケットボールをやるという夢に対する想いの強さが伝わってきますね。

猛勉強の末に八村塁さんはNCAAの学力基準をクリアしたため、ゴンザガ大学のESLに通うため2016年5月に渡米し、ここでも英語の猛勉強を行います。
ESLとは、English as a Second Language の略語で、英語を母国語としていない方が第二言語として英語を学ぶことです。ゴンザガ大学には学力基準としてこの規定があります。
大学側はESLに通って3か月で英語力を入学基準まで上げることと、入学後は家庭教師をつけて授業についてくることを条件のもと、八村さんにビザを発行しました。
渡米後から開幕戦が行われる11月までの間、大学側も一切のコメントをひかえ、八村さんが勉強に集中できるよう配慮を行ってくれていました。
こうした周りからのサポートを受けながら、見事入学基準まで上げることができゴンザガ大学に入学を果たせることなりました。
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大学入学後の勉強法は?
NCAAでは入学後も一定の成績を収めなければ、公式戦に出場することはできません。
入学して1年目は周りから話しかけられても英語がほとんどわからず、バスケの練習だけでなく、大学生活のいろんなところで支障をきたしていたようです。
特に無口になることが多く、周りとのコミュニケーションがうまくいきませんでした。
そんな八村塁さんは自分を律し、自ら英語漬けの生活を選び再び猛勉強の日々を送ることとなります。

大学にいる試合や練習を分析するビデオ・コーディネーターの方は日本語が話せるようですが、その方にも一切の日本語は使わないようにとお願いしました。
そしてバスケの練習以外の時間は飛行機での移動中も休むことなく、全て英語の勉強に費やしていたそうです。
更に八村塁さんの英語力を高めた勉強法が、ラップやゲーム、テレビなどで英語を吸収することでした。
中でもラップは効果が高かったようでチームメイトとのコミュニケーションにも役に立ったようです。
ラップを通して歌詞の意味を教えてもらったりと、これまでになかった積極的に会話をするようになったことが、彼の英語力を飛躍的に高めたんだと思われます。
ちなみに八村塁さんの好きなラップですが、21サヴェージとドレイクをよく聞いていたとのことです。
ラップを通じて英語を勉強し、チームメイトとのコミュニケーションもできることで明るくふるまえるようになったことは、八村さん自身にとってはとても大きく進化できたといえるのではないでしょうか?
事実、その後にバスケの実力が上がりチームリーダーも任されるほどにもなりました。
そしてチーム監督のマーク・フュー氏によれば、八村塁さんの英語での会話は3年後には100パーセント通じるようになったと述べています。
まとめ
こうして八村塁さんは
- 高校3年生から数学の個別指導をうける
- ネイティブスピーカーとの個別レッスンを受ける
- 渡米後には大学の配慮で集中できる環境下で勉強する
- 自ら英語漬けの生活を徹底する
- ラップを通して言葉を勉強する
- チームメイトとのコミュニケーションを積極的に行う
といった勉強法で、ネイティブに英語を話せるようになったのです。
そんな八村塁さんに情熱大陸が密着します。
21歳という若さもあり、これから幾度となく困難に当たるかと思いますが、夢に向かって必死に頑張ってきた気持ちをいつまでも忘れずに、これからもNBAという夢の舞台での活躍を期待しています。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。